第十三回 座談「法華経読書会」開催


日本語に訳された「法華経」を少人数で読むことを目的にしています。

・法華経を物語として楽しみながら読み終えることができる。
・法華経の読書を通じて一般的な仏教の知識を得ることができる。
・なじみの薄い経典も少人数であれば読みやすくなる。

このような内容で月1回の開催をめざしています。

60分ほどの読書のあと、60分ほど座談を行い自由な意見交換をします。

ご希望の方はどなたでも気軽に参加できます。

お問い合わせフォーム からお申込み下さい。

 

次回予定
第十一回 座談「法華経読書会」
日時:2018年(平成30年)11月29日木曜日 午後7時より9時まで
場所:長徳寺寺務所
参加費:1人500円(茶菓子・資料作成費)

 

10月25日に行われました 第十二回座談「法華経読書会」開催報告

仏の前で説法を聞いていた聴衆の中の多数の菩薩が、仏に向かった言いました。
「仏が入滅したあと、私たちが努力精進して、法華経を弘めます」と。

すると、仏は「この娑婆世界には、多数の菩薩がいるから、あなた方が法華経を護持する必要はない」と告げた。

その時に、娑婆世界の大地が震動し、大地の割れ目から、無数の菩薩が涌くがごとくに出現した。

これらの菩薩それぞれが、ガンジス河の砂を六万倍、五万倍、四万倍、三万倍、二万倍、一万倍した数の従者を連れていた。

さらに、億万の従者、千万、百万、一万の従者、さらに一千、一百、十人の従者、また、五人、四人、三人、二人、一人の弟子を引き連れた菩薩もいた。

あるいは、世俗を離れて修行する菩薩は単独でやってきた。
その菩薩の数は無量、無数であって、計算できないし、比喩でもって語ることもできない。

 

以上は、法華経第十五 従地涌出品の一部です。

この中に書かれている、それぞれの菩薩の従者の数の大きな順に配列されている、個所をどのように理解するかを参加者に問うてみました。

・ある参加者は、「大きな数が羅列されているのは、全体的なことを言い、もっと大きな、広い心を持てという意味ではないか」

・またある参加者は、「大きな数字も、小さな数字も言っているのは、細やかに、一人のことまでいっている、優しさを感じる」

・またある参加者は、「大勢も個人も分け隔てなく、同じように、平等であるということではないか」
という意見が出されました。

この出された意見について話し合いますと、「読む人によって解釈、理解が違う」

それでいいのではないか。それこそ法華経の本質を示しているようだ。

また、いままで法華経を音読(過去十数回)して、参加者各自が想像力を身につけた結果ではないか。

などの意見が出されました。

私は、五人の参加者の中、三人がこのような意見を言ったことに驚きました。

それぞれの意見は、決して理路整然たるものではなく、なんとなくそんな感じがするというものでした。

ところが「その何となく」は、決して的外れではないと思えます。

法華経を学ぶというと、教義や字句の解釈に進みがちですが、この読書会は、音読によって物語を味わうということを目的にしています。

これからも、時間をかけて、ゆっくりと進み、参加者の一人一人の意見に耳を傾けたいと思いました。