第九回 座談「法華経読書会」開催

  • 2018年07月04日

 日本語に訳された「法華経」を少人数で読むことを目的にしています。

・法華経を物語として楽しみながら読み終えることができる。
・法華経の読書を通じて一般的な仏教の知識を得ることができる。
・なじみの薄い経典も少人数であれば読みやすくなる。

このような内容で月1回の開催をめざしています。

60分ほどの読書のあと、60分ほど座談を行い自由な意見交換をします。

ご希望の方はどなたでも気軽に参加できます。

お問い合わせフォーム からお申込み下さい。

 

次回予定
第九回 座談「法華経読書会」
日時:2018年(平成30年)7月26日木曜日 午後7時より9時まで
場所:長徳寺寺務所
参加費:1人500円(茶菓子・資料作成費)

 

6月28日に行われました 第八回座談「法華経読書会」開催報告

 今回は第8回「巧妙なる教え=方便品」を住職が座長となり、読みました。

 これは「妙法蓮華経方便品第二」という章です。

 全員で一度声にだして通読したあと、いくつかの要旨に従って、再度音読します。
文中の文字や文章の要旨を座長が解説したのち、参加者で意見を自由に発言します。

 今回は「執着」ということについて互いの意見を出し合いました。これは、方便品にある「諸仏は方便をもって人々をもろもろの執着から解き放しますが、それでも人々は諸仏のほんとうの知恵を知ることはできない」という個所から拾いだしたものです。

・ある人は、「自分の父親が入院しときに医師から延命処置をするか否か」と問われたときに、「延命処置」はしないと答えました。しかし、その時に同席した弟の「納得いかなそうな目」を感じた。そのことが自分のなかで気になり、今でもこだわってると発言しました。

・また、ある人は、自分の子供が自死したときに、「あなたは、前世ですごい悪いことをしたんだね」と言われ、その時は大変なショックだったと言いました。言われた本人は、「言われたことにこだわっている」のかもしれないと発言しました。

 このような発言をもとに、それぞれの心における、「執着」ということを話し合いました。座長が提起した、「執着」という言葉の意味はともかくとして、参加者が感じたことを大事にして話合いました。話合いのなかでは、多種多様な各自の意見が発言されました。

・法華経を読んでも、人生の指針のようなものが、出てこないので自分にとっては、要領を得ない。親しみをもてない。

・法華経の本質的な問題として、時空論があるが、仏の世界では時間という概念を取り払うことが必要なのではないかと、いう問題提起がありました。むろん発言者の中で完成された思考ではないようですが、法華経を読んでなんとなく感じることだと言います。

・自分にとって、これが「執着であると」自分で認識できれば、それは「執着」でなくなってるのではないかなど、発言がありました。

 座長としては、このように、法華経を読んで各自が考え、感じたことを発言することで、法華経という経典を、自分に置き換えることができればいいと考え、読書会を終えました。